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プライバシーは守りつつ、つながりは強い地域。

interview-photo01-1チューリップ農家

伊藤 仁嗣さん

 

大学進学のために上京し、経済学を学んでいた伊藤さん。

卒業後、2年間のオランダでの修行を経て、家業を継ぎました。

4年前に法人化し、代表に就任。

砺波の産業であるとともに象徴でもあるチューリップの未来を担う若手農家さん。

 

「家の仕事がどんなもんか、知らんかった」

 大学では経済学を専攻していたという伊藤さん。大学3年になると、ゼミに所属する必要があります。でも、ゼミは就職先と直結しています。結局、大学2年の時には、既に「この先どうするか」を考えねばなりませんでした。

そこで伊藤さんは、1年間大学を休学し、実家の農業を手伝うことにしました。

「自分の家が百姓であることは分かってましたが、それまではあまり『継ぐ』という意識はありませんでした。家の仕事が、どんなものか、知らなかったんです。だから、知ろう!と。年間を通して作業に関わり、全体の『経営』という視点からも、家業を捉え直すきっかけになりました。」

実際に働いてみると、辛い部分も、楽しいこともたくさんあることに気付いた伊藤さん。

「大企業で働いても、小さな会社で働いても、結局同じなんじゃないかと思ったんです。どんな仕事でも、イヤな部分も、イイ部分もあるんや、と。だったら、自分のバックグラウンドである農業を継いで、その中でいろんな挑戦をしていこうと思ったんです」


オランダに2年いてわかったこと

砺波市高波の風景農家になる!と決めてからは、チューリップ修行のためオランダへ。

「オランダの営業マンが家に来ていたのを小さい頃から見てきたので、チューリップ農家になる=オランダに行くというのは、自分のなかではごく当たり前の決断でした。」

1年間の外国研修は多いそうですが、伊藤さんは2年間、オランダで研修を受けました。1年だけだと、農業の一通りの体験しかできません。2年目からは、去年と比べながら、自分で考えて動くことができるようになります。それに、受け入れてもらった組織・会社とのつながり以上に、組織外のつながりや生産者さんとのつながりも強くなったそうです。


帰国後に会社化。切り花にも力を入れている

チューリップの球根オランダから帰国後しばらくして、今まで家族経営だった農業を会社化。自らが社長となり、従業員も雇い、生産性と効率を上げ、業績を伸ばしてきました。

「4月には、球根採取用のチューリップを植えます。5月は田植え。6月は球根の掘り取り。7月は球根の出荷。8月は稲の生育を見守り、9月は稲刈り。10月からは切り花用チューリップの球根の植え込みを始め、11月から翌年3月までは切り花の育成と出荷をします」と、1年を通じてチューリップと米づくりをしている伊藤さん。チューリップの球根と米を中心にしながらも、最近では冬場がピークの切り花にも力をいれているそうです。


チューリップと米づくり。砺波らしい農業のかたち

2011年に60年目を迎えた、となみチューリップフェアにて実は、米どころである砺波のチューリップづくりは、約100年の歴史があります。砺波でチューリップ栽培がはじまったのは、大正7年(1918)のこと。

その当時は、米づくりのみを行う小規模の農家が多かったそうです。冬にたくさんの雪が積もるので、この間は所得もなく、就労機会も少なかったので、水田を有効に活用して農業所得を確保できる方法が求められていたのです。

いろんな園芸作物を試作する中にチューリップがありました。切花としても、球根としても高値で売れたため、本格的なチューリップ球根の栽培が、この地で始められることになりました。


「どこかゆったりしている人々。土地の豊かさのおかげ」

チューリップの球根選別庄川の恵みを受け、豊かな穀倉地帯となり、またチューリップなどの花卉生産も盛んに行われてきた砺波。

「砺波って、お互いに適度な距離感を保っている地域だと思いますね。『金持ちけんかせず』と言いますけど、家や家族、家業を最優先して、一生懸命働き、蓄えをしてきた人たちが多いような気がします。他人に何かをしてもらおうと思う人が少ないのかもしれません。」

さらに、家と家が離れていることで、プライバシーはけっこう守られているのがこの地域の住まいの特徴。「獅子舞やお祭りなどの地域ぐるみの行事には、積極的に協力し、進んでお金を出す人たちが多い。…それも『余裕』の象徴かもしれませんね。」


移住して農業をしたい方へ:適度な距離感とニュートラルな感覚が大事

伊藤さん「ニュートラルな感覚が大事なのかもしれません」「例えば、人口密度の高い都会は、お金持ちも貧乏な人も、いろんな人がぎゅっと一緒に住んでいたり、隣の生活音が聞こえたりして、望まなくても人と人の距離が近い。砺波は、家と家の距離がある分、人と人の間にも、独特の距離感があるような気がします。」

昔の米づくりは、地域ぐるみで行っていました。必要なときに地域のみんなで作業をしたり、祭りなどの準備を一緒にしたりしてきたので、『何か』あるときの地域のつながりは本当に頼もしいものです。

「農業とひとことで言っても、家業ですから、家の数だけやり方がある。もし、移住して農家をやりたいと思っているなら、すでに抱いている『農業』というイメージに縛られすぎない方がいいと思います。ニュートラルな感覚が大事ですね。」

地域のことを意識しながら、つかずはなれずの適度な距離感と、ニュートラルな感覚があれば、きっと楽しい散居村暮らしができるのではないでしょうか。

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