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子どもをのびのび育てたくて、静かで自然豊かな散居村へ

interview_08_samune1硝子加工メーカー勤務 
半田 耕平さん
専業主婦 
半田 恵理香さん

 

広大な田園風景の中に家々がポツンポツンと点在する、砺波平野の散居村。
半田恵理香さんは、日本の原風景と言われるその地で生まれ育ちました。今は、京都府出身のご主人・半田耕平さんとご両親、そして3人のお子さんとともに実家で暮らしています。

 

子育て環境の改善を

interview_08_002かつて半田さんご夫妻は、耕平さんが務める出版社の団地で、3人のお子さんと共に暮らしていました。以前に住んでいた団地は築年数が古く、「生活音が階下に響くため、足音を立てないよう気をつける日々でした。また、道を隔てて線路があるため20〜30分に1回は電車が通り、その間はテレビの音が聞こえなくなってしまうほどだったんです」。ご夫妻がこうした生活環境の改善を考えるようになったことが、移住を決めたきっかけです。 そんな中、毎年帰省する恵理香さんの実家を訪れるたびに「音の問題に悩まされることがなく、自然があふれるこの散居村で子どもをのびのびと育てたい」との考えが徐々にふくらみ、ご夫婦共通の思いになっていきます。さっそく富山県と砺波市に移住について相談し、恵理香さんの実家に移り住む準備を進めていきました。

 


子どもたちが、想像以上にのびのびと

interview_08_003_1半田さんご夫妻が砺波に移住したのは、2018年3月下旬。散居村は、隣家と程よい距離感があるため、家で騒いでも周囲に迷惑をかける心配が要りません。子どもたちは自由に走り回れるようになりました。また、自宅に畑があり、農作業を手伝えるという環境も初めてです。「カエルを触ったり、ホタルを見たのも初めて。子どもたちの目に映るものがガラリと変わったからか、行動が活発になりましたね。雪山を作ってソリで滑ったり、自宅の畑でサツマイモやトマトを収穫したり、イチゴを摘んで食べたりと、今までできなかったような遊びをたくさんしています」と微笑む恵理香さん。また、通学に関しても、以前は交通量が多い中、学校まで約3kmの道のりを歩かなければいけませんでしたが、砺波では近くのバス停からスクールバスに乗ればスムーズに着けます。ご夫妻の安心感も大きくなりました。 3人のお子さんの年齢は今、9歳、7歳、4歳。まだ自分の環境に対して考えを持つのは難しい年齢といえるでしょう。「子どもたちが作ってきた友人関係を断ってまで砺波に連れてきていいのか。私たちの「こう育てたい」という思いだけで移住していいのかとためらっていましたが、環境が変わってもまた新しい学校で友達を作っていますし、地域の子どもたちや保護者の方が積極的に声を掛けてくださり、行事にもよく参加しています。想像以上に楽しんで生活しているので良かったと思います」。子どもたちの適応力はすこぶる高く、すでに富山弁もマスター済みです。

 


持ちつ持たれつ、3世代同居

interview_08_004 奈良での核家族生活から、砺波での3世代同居へ。普段はご両親との生活時間帯が異なるため、お互いのプライベートを大切にできる程よい距離感を保っていますが、雪かきや草刈りなどの時にはガッチリとタッグを組みます。
「両親に子どもを預けられるので、夫婦の自由時間が増え、以前に比べ会話も外出の頻度も多くなりました。よく行くのは、庄川ウッドプラザですね。また、砺波は海にも山にも近く、無料で遊べるところがいっぱいあるので、子どもたちと一緒に出かけることも増えました」と嬉しそうに話す耕平さん。家族構成の変化は、夫婦間・親子間のつながりにも好影響をもたらしているようです。時には家族7人で出かけることも。「海の近くまでみんなでカニを食べに行ったんですよ」と恵理香さんも笑みも浮かべます。これからも家族みんなの楽しい思い出が、砺波でたくさん育まれていきそうです。

 

プロフィール

半田耕平(はんだ・こうへい)
1979年(昭和54年)、京都府出身。5歳の時に滋賀県大津市に移り、大学卒業後、奈良県の出版社に勤務。ちょうどその頃に恵理香さんと出会い、結婚。子育てにふさわしい環境を考えた結果、2018年3月下旬に砺波に移住。現在は、恵理香さんの実家でご両親と3人のお子さんとともに暮らしている。


半田恵理香(はんだ・えりか)
1987年(昭和62年)年、富山県出身。 中学校卒業後、介護の勉強がしたいと、卒業時に介護士の受験資格が得られる奈良の高校へ進学。卒業後は奈良にとどまり、介護士として病院に勤務。長女の出産を機に退職。

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